葉拓書道家 桜鱗
桜鱗の書体ロゴ
桜鱗の写真

人生はより深く色づいていく。すべてが柔らかく、穏やかなわけではない。 痛みもあれば、思いがけぬ出来事も起こる。けれど鉄が打たれてこそ強くなるように、そうした衝撃が人生を養い、彩りを添えてくれる。涙とともに食事を味わった者にしか分からないものがある。 痛みと哀しみを知る人の言葉と生き方は、静かに心に染み入っていく。 私も、そんな人でありたい。

─ 桜鱗

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書は私にとって、自己表現の手段の一つです。

過ぎ行く日々の中、膨大な感情が自分の中に交差し、 思考が生まれ、哲学が確立されてゆく。

その全てが私そのものであり、私はこれらを何かの形で吐き出していなければ 生きてはいけない人間なのかもしれません。

その手段の一つが、私にとっての書であるということ。

白と黒だけのシンプルな世界はストイックで潔く、そして、この上なく美しい。

そこで、どれだけの証が残せるか。

自分にしか生きられない人生を生きるか。

呼吸するように生み出したい。

私が私である為に。

創る

ロゴ・ラベル・シンボル

魅せる

パフォーマンス・展示

教える

レッスン・ワークショップ

シリーズ

されど雑草

書は私にとって、自己表現の手段の一つです。

過ぎ行く日々の中、膨大な感情が自分の中に交差し、思考が生まれ、哲学が確立されてゆく。

その全てが私そのものであり、私はこれらを何かの形で吐き出していなければ 生きてはいけない人間なのかもしれません。

器

器

Origins

石川県金沢市に生まれ、その後、父の地元である中能登町で高校卒業までを過ごす。

幼い頃からオリジナルのストーリーを考えて絵本を作ったり、童話を芝居仕立てにする空想をして遊ぶような子供だった。

小学4年生の頃、「果物」がテーマの絵画コンクールで描いた“果物のお城”の絵をクラスメイトにからかわれる。 人生で初めてオリジナリティを否定された出来事だった。

小学校低学年から、母の勧めで3年間ほど町の書道教室に通う。 幾つかの習い事の中で、唯一好きになれたのが書道だった。

その後、中学、高校時代は筆を持つことなく過ごすが、文章を書くのが好きで、詩や作文が県内のコンクールで選ばれることもあった。

Tokyo

大学進学と共に上京し、子供の頃から憧れであった東京での生活が始まる。

20代前半は、以前より好きだった歌の勉強やバンド活動をするなど、夢を追う日々を過ごした。

その後、友人の紹介により入った六本木の高級鮨店で、アルバイトから女将として働くようになる。 勤務していた鮨店は、在職中にミシュランの星を獲得。

女将業を務める日々の中で、“自らの力で何者にもなり得ていない自分”に気付く。 鮨職人の仕事に芸術性を見たことで、「自らも表現する側の人でありたい」という想いが募るようになっていった。

Return

子供の頃に習っていた書道の存在を思い出し、武田双龍氏に師事。 女将業を辞め、“表現する書道”というぼんやりとしたイメージを抱きつつ、再び書の基礎から学びを始める。

その後、長きに渡り桜鱗の書道家活動をサポートする存在となるプロデューサー、和乃弦(わのげん)氏と出会う。

自身の書道教室開設を目指し師範資格を取得するも、和乃弦氏からの助言もあり“指導者”ではなく“アーティスト”として活動することを決意。

2011

初個展『白黒花火』開催。(東京銀座【ギャラリー 潦(にわたづみ)】) 何の実績も無い中での個展開催から、書道家としての人生が始まる。タイトルである“白黒花火”という言葉は、その後も自身の創作理念として共に歩むものとなる。

その後、知人からの書の依頼やイベントでの書道パフォーマンス出演など、“書道家になる”ための下積みが長く続いた。

2013

書道ワークショップ【書遊戯(しょゆうぎ)】スタート。 書道の“学ぶ、創る、観る”を一度に体験できる自主企画イベントで、その後、コロナ禍に入る2020年までに29回の開催が続いた。

個展『白黒花火~静かに育まれゆくもの~』開催。(東京銀座【ギャラリー 潦】) 初めて展示作品【旬】に買い手が付き、自分の作品に価値が生まれる喜びを知る。

2016

朝日酒造の日本酒【朝日山】のラベル書を揮毫。 書道家としてステータスの一つとも言える、待望の酒ラベルの揮毫を初めて手掛ける。他のデザイナーや書道家の作品が集まるコンペにおいて採用となった。

2019

『桜鱗』に改名。 自身の誕生日である4月8日に、書道家としての活動名を本名から現在の雅号である『桜鱗』に改名した。

東京、石川の2拠点活動開始。 故郷である能登に築140年の古民家アトリエ【刻ノ想(ときのそう)】を構え、地元にも活動を拡げた。

ブログ“書道の筋トレ【365日喜怒哀楽】”スタート。 書の表現力アップの為、“喜、怒、哀、楽”の4文字をその日の心情を綴る文章と絡め、430日以上に渡り書き続けた。

2020

個展『ヨムコテン』開催。(東京四谷【create space anima】) 過去に260点以上書き溜めた、書と随筆のブログ「今日の一枚」から選りすぐりの作品を展示。書と文章を一つの作品として、独自の世界観を表現する展示スタイルがここから始まった。

【されど雑草シリーズ】誕生。 コロナ禍の自粛生活において自身と書の在り方を改めて模索する中、葉拓と書を融合させる“葉拓書道”に辿り着いた。父の押し花作品群から【されど雑草】の名を受け継ぎ、その後の桜鱗の代表シリーズとなる。

2021

中能登町広報掲載。 葉拓書道作品「生きる」が広報1月号の表紙に採用され、桜鱗の特集記事が掲載された。大きな反響があり、ここから能登での認知が拡大され始める。

故郷での初個展『ヨムコテン in 能登』開催。 四谷にて好評を得た『ヨムコテン』を、初めて能登のアトリエ【刻ノ想】にて開催。

2022

テレビ初出演。 MRO北陸放送『レオスタ』で桜鱗の経歴や【されど雑草】に纏わるストーリーが特集される。

個展『されど雑草』開催。 されど雑草シリーズ、初お披露目となる個展を故郷の【天日陰比咩神社(あめひかげひめじんじゃ)】、アトリエ【刻ノ想】の2会場にて開催。

2023

個展『されど雑草 in 東京』開催。(東京目黒【蟠龍寺】) 【されど雑草シリーズ】、東京での初展示。

個展『されど雑草 in 和倉』開催。 和倉温泉の名旅館【加賀屋】で、個人の作家では初となる個展を開催した。その他、和倉温泉内の3か所(お祭り会館、青林寺、信行寺)にも作品を展示し、4会場同時開催の大規模個展となった。個展内では初の超大作となる3m×5mの書道パフォーマンスをおこなう。

2024

能登半島地震で被災。 【加賀屋】での元旦イベント中に被災し、作品を会場に残したまま避難。家族とも離れたまま一人、避難所にて一夜を過ごす。

個展『されど雑草 in 蓼科』開催。 長野県で初となる個展を開催。

アートコラボ【FLOWORD】始動。 フラワーリースブランド【東京エゴイスト】とのコラボプロジェクトがスタートし、書×フラワーリースの新しい形のアート作品を発信。

金沢、東京にて【FLOWORD】の初個展開催。 展示した書とフラワーリースを融合させた12ヶ月の花言葉作品が完売となった。

2025

震災の被害を受けた能登のアトリエ【刻ノ想】が解体となる。

個展『されど雑草~生きている~』開催。(東京浅草【ブレーメンハウス】) 既存の作品に、震災後の揺れる人生観や死生観の中で書き下ろした新作15点を加え展示。

個展『されど雑草~生きている~』開催。(石川羽咋【洞谷山 永光寺】) 浅草開催と併せて来場者は500名を超え、この羽咋会場が通算10回目の個展となった。

2026

書道家人生15周年。 2011年の初個展から始まった書道家としての活動が、2026年12月に15周年を迎える。

桜鱗の歴史

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